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映画『君の名は。』を観た

2017.03.01.Wed.01:57
もともと本当に興味なかったんだけど映画『君の名は。』を観た。
理由はベタに邦画の興行収入でトップ10入りを果たして次々と記録を塗りかえるほどに人気だったから。
そういう映画をけなす・批判する・「俺にはなんで人気なのかわからん」と言うことは容易い。
自分が映画館に足を運ばせるきっかけとなったのはそういった斜めから構える容易さの忌避感と、
「なぜこの映画は人気なのか」という探求心と、
「そんなにみんなが観に行ってるんだから一度観てみよう」という素朴な興味からだ。

という前置きで始まって「107分って少し短いな」と思いつつ映画館で実際に作品を観た感想をば。
面白かったです。単純に。
自分がもうおっさんになってしまったからなのか、途中で涙ぐんでしまったところもあった。

率直に感じたのは「若い人が観て感動する映画だなあ」。
そして「ああ、批判される理由もわかるなあ」とも思った。
そんなところから
『君の名は。』のアニメ映画作品としての面白さはなんなのか、というところと、
その魅力はなぜ若い人たち…特に10代のお客さんを熱狂させるのか、というところを見ていきたい。

まず『君の名は。』の特徴の一つとして「映像の美麗さ」というのがある、らしい。
メディアがそう言ってるから。
これは『君の名は。』だけの話ではなく監督を務めた新海誠が手掛ける作品に一貫した定評のあるポイントだという。
実際に作品の中では、例えばW主人公のひとり・宮水三葉が初めてもう一人の主人公・瀧の体と入れ替わった日の朝。
目の中に飛び込む東京の街並み、新宿を走る路線、渋谷の人の往来。
その風景を写実的に、何より「美しく」仕上げている。
物語前半のそのシーンで「メディアの言ってる『映像美』ってこういうことか」と納得した。

メディアは「『君の名は。』は限られた予算の中で作られた」と言う。
そしてまた「動画の枚数がほかのアニメ作品と比べても少ない」とも言う。
それがわかるところがあって、これも瀧の目(実際には三葉)に飛び込んできた東京の街並みのシーン。
線路に沿って流れていく電車。
普通のアニメーションなら何枚も使って電車が動くさまを描くところを、
実は一枚の絵をずらして動かしているだけだったりする。
このシーンで「あ、枚数が少ないってのはココね」と思った。

映像美の点でもう一つシーンを上げると「隕石が三葉の住む糸守町に堕ちていく」ところ。
浴衣姿の三葉の真上を隕石が流れていく様子を描いたこのシーンで、
ぐるぐると動くカメラワークに雑草のざわめきがこれでもかというくらい繊細に、ダイナミックにたなびいており、
町一つを消してしまうという破滅の瞬間でありながらそれとは真逆を行くかのように
映像は美しさが際立っていた。

さて「映像の美しさ」はまさにその通りなのだが、それだけではこの作品の特徴をうまく言い表してはいない気がする。
何と呼べばいいかとすればそれは「緩急」ということになると思う。

東京の街並みであったり頭上を行く流星であったり、「美しい」と思わせるシーンが「ここぞ」というところで
全面に押し出されてるのだ。
いくら美しいといえどその映像が延々続いているだけだと観客はそれに慣れてしまう。
ではなく、雑草一本一本の細かなざわめきの表現に大量に動画枚数を使う一方で、
通常のシーンでは少ない枚数で済ませてたり
あるいは流れる電車のように大胆に削ってしまうことで「美しい」部分と「そうでない」部分にメリハリをつける。
そうすることでより「美しい」部分がクローズアップされる。
観ている客に強い印象を残すことになる。
これは動画を多く使えないという現状ゆえに編み出した策とも言えるだろう。
削るところは削り、使うところは使う。
この「緩急」が『君の名は。』の一つの特徴だ。
そして「予算の少なさ」と新海監督の真骨頂と言われる「映像の美しさ」を見事に両立させているところに
「おっ」と感心したのであった。

もう一つ映像の特徴の一つとして挙げられるのが「ドアや戸が開く」カット。
家の引き戸、電車の自動ドア…
『君のは。』だけの特徴かもしれないが、「ドアや戸が開く」カットが劇中にこれでもかというくらい多く登場する。
このカットの視点が面白くて、
ちょうど戸やドアが走る「収まり」のまん真ん中から、カメラの向こう側に向かって開く、というシーンになっているのだ。
「視点が面白い一枚絵」になっていて、見る人に新鮮な感覚を与える。
さらに何度もこのカットを使うことで、これが物語のテンポを生み出している。

先述した「緩急」とこの「独特のカット」が『君の名は。』の作品のリズムを生み出す要因になっている。
さらに上映時間107分という時間に加え、リズムの良さが観客を飽きさせない。
これらによって観る人に「『君の名は。』という映画はこういう感じなのだな」と思わせるに至らしめ、
『君の名は。』が面白いと思わせるリズムになっているといえる。

続いてストーリーの部分。
大雑把に言うと、東京に住む高校生の立花瀧と、
遠く離れた岐阜県の山あいの町・糸守町に住む宮水三葉の心と体が入れ替わり、
そこから二人の「お互いがうまくやっていくための生活」が始まる。
前半まではよくあるラブコメの設定だが後半にどんでん返し。
実は二人が行き来する間には3年のタイムラグがあり、
しかも三葉の住む糸森町は隕石の落下により町のほとんどが消失してしまっていた。
そして三葉もその災害により命を落としており…
瀧はすべてを確かめるために「3年後」の糸森町に向かう。

どうですか。この映画レビューに載せてもいいぐらいの作品紹介。(自賛)
前半にしろ後半にしろ、やっぱり「どこかで見たストーリー」感は否めないと思う。
だがこの「どこかで見たストーリー感」が大事なのだ。

『君の名は。』のエグゼクティブ・プロデューサーである東宝・古澤佳寛氏(だったと思う)がテレビのVTRでこう話していた。
「この作品を作るために相当のマーケティングをして相当に練った」(だったと思う)
ある記事では「どうやって"より多くの人に観てもらえるか"」的なことを追求したといった内容が書かれていた。
作品づくりのいの一番に始まったのはここで、「より多くの人に観てもらうこと」が作品作りの起点になっている。
そのより多くの人に見てもらうためにはの解答として"誰にでもわかる物語"を選んだのだ。

「今までにない作品づくりを!」をスローガンにすると奇をてらい過ぎて
難解なストーリーになったりしてとっつきにくいものになりがちだ。
それでアニメファンや映画ファンは喜ぶかもしれない。
しかし普通のお客さんは見てくれなくなる。その人たちの評価は低くなる。
だからこそ選ばれたのはわかりやすい…「どこかで見たようなストーリー」だ。
そしてただわかりやすいだけでなく、
「男女の心と体が入れ替わる」「悲運のラブストーリー」と、
いかにも日本人が好みそうな設定をチョイスしている。

また「より多くの人に観てもらうこと」が作品作りの起点になっているからこそ「見せ方」にこだわっている。
先に書いた「作品のテンポ」にも通ずる点だが
前半のストーリーでも、冒頭「電車から降りる三葉のほどいた髪留めを瀧が受け取るシーンからはじまり、
その夢を見ていた三葉が起きる。
そして普段と違うところにいると感じた三葉。実はこの時すでに三葉の中身は瀧に入れ替わっていたのだ。
そのまま展開が進むのかと思いきや、「中身が三葉のまま」の三葉で物語が続いていく。

これは物語が進むにつれ瀧と三葉の体が入れ替わっていることがわかるのだが、
「心と体が入れ替わる」「タイムラグがある」という設定を効果的に使うことで「謎」を作り、
「一体どうなってるんだ?」と観客に思わせて作品に引き込ませる。
そういった見せ方にしているのは伏線を多く張り巡らせているためであり、
また伏線を張り巡らせることによって『君の名は。』という作品のテンポを生み出していることにもなっている。

作品の外の部分ではどうだろう。
『君の名は。』を特集したNHKのクローズアップ現代+では「(ヒットの理由は)SNSでの拡散、"バズ"にある」としていた。
映画の公開前はそれほどクローズアップされていなかったが、
公開一か月前に主題歌と劇伴を担当したRADWIMPSが「前前前世」のMVをアップ。
そこで一気に人気が出たという。
また映画の公開以降もSNSを中心に話題となり、その「口コミ」がどんどん拡散されて今のヒットにつながった、
ということだった。

ヒットの理由として確かにSNSでの拡散、口コミは大いにあると思う。
実際に自分もそれで映画館に足を運んだクチだ。
だがそれだけではなにか腑に落ちない、ヒットの理由として足りない気がした。

そんなときある記事を読んでいたところこんな文章を目にした。

「これまで新海監督が培ってきたものをすべて合わせた得意分野で、「これぞ新海誠作品!」と言えるような作品にしましょう、「新海監督のベスト盤にしましょう」ということは話し合いながら決めていきました。」 [『君の名は。』エグゼクティブプロデューサーが語る、大ヒットの要因と東宝好調の秘訣 - リアルサウンド]



先にも書いたがエグゼクティブ・プロデューサーの古澤佳寛氏は
「この作品を作るために相当のマーケティングをして相当に練った」と語っていた。
つまり「新海誠という名前をもっと世の中に広める」
"新海監督作品を世に売りだす"ということだ。

筆者は新海監督の他の作品を観たことがないのだが
テレビの特集で過去の新海作品がVTRで流れたのを目にした。
チラリ程度の長さの映像だったが、「これは観る人を選ぶなあ」と見て思った。

映像の美麗さという点は過去の作品にも確かに見て取れたが、『君の名は。』に比べてくどいなと思ったし
キャラクターデザインも好きな人は好きなデザインといった感じ。
作品の雰囲気もなんとなく"暗い"印象があった。

これらの点を踏まえ「新海誠という名前をもっと世の中に広める」のスローガンのもと『君の名は。』の制作が行われた。
これまでの新海作品は観る人選ぶ、だから人を選ばない作品を創ろう、と。
より多くの人に作品を観てもらうためにはどうすればいいか。
それを実現するためにとったのが入念なマーケティングであった。
『君の名は。』のストーリーはなかなかベタである。
作品の雰囲気も明るい(特に前半)。
新しい感覚にあふれた前衛的な作品はj観客につっぱねられることがあるが、
ベタなストーリーはより多くの人の心にフックする可能性が高い。
その作品作りの方向性が「"売れる"作品をつくっただけ」と批判されることにもなってしまったのだが…
新海監督がラジオ番組に出演した際に『君の名は。』の反響について語っていた。

最も嫌だった反響には、「新海は作家性を捨ててヒット作を作った」、「魂を商業的に売ってそれが結果的にヒットになった」、「ありがちなモチーフの組み合わせだけで、そりゃヒットするよ」、「こんなキャッチーなモチーフだけだったら100億超える映画になるよ」といった批判を挙げた。 [新海誠監督、“『君の名は。』は売れる要素の組み合わせ”批判に反論「そんなに容易ならやってみればいい」BIGLOBEニュース]



「それはその通りかも知れないと思うと同時に、そんなに容易なことならば皆さんやってみればいいんじゃないかなとも思います」
と真っ向から反論したそうですが…笑
このコメントを読んでも"それはその通りかも知れない"と言っているので
映画作りのアプローチに関しては新海監督は自覚的であったと思われる。

とにもかくにも、結果たくさんの人が映画館に足を運ぶことになり、「売れた」のである。
こうした「より多くの人に観てもらうためのアプローチ」が『君の名は。』のヒットの理由と言えるだろう。



ここまで作品を好意的に見てきた。
筆者も実際に映画を楽しんで観ることができた。
ここからはどんどんツッコミを入れていこうと思う。
なぜなら『君の名は。』はたくさんの人を感動させた大ヒット映画であると同時に
ツッコミどころ満載の映画だからだ。

一番大きなところではやはり「流星の衝突」だろう。
物語冒頭の三葉がテレビを点けたところ流星のニュースが流れていた。
この流星は地球に最接近したところで崩れ、
その分散した流れ弾が隕石となり地球、日本に落ちて大災害を起こしてしまう。
落ちたところは三葉の住む糸守町。
瀧と三葉の心と体が入れ替わりは今現在リアルタイムで起こっているものと思いきや実は3年のタイムラグがあり、
隕石の衝突により糸守町の大半は消失、三葉は既にこの世にいなかった。
二人の繋がりは消え、心と体の入れ替わりも無くなってしまった。
瀧は真実を確かめるために糸守町に向かうことになる。
これが『君の名は。』の大きな転換部分だ。
作品のメインビジュアルにもなっているあの綺麗な流れる星は実は重要な意味を持っていたわけだ。

物語は「タイムラグがあった」「三葉はこの世にいない」という前提のもと、
話の中心が「三葉をこの世に取り戻す」ことに大きくシフトする。
さて繋がりが消えた理由はわかったが、
この事実が判明したこの時点で「なぜ心と体の入れ替わりが行われたのか」の説明は
全くなされていない。

三葉のおばあちゃんの赤い糸の繋がりの話や、三葉の家系が代々心と体の入れ替わりが行われることがある
という説明はあったが、
なぜ代々そういう体質なのかがわからない。

心と体の入れ替わりに3年のタイムラグがあったがなぜ3年のタイムラグがあったのかの説明はなく
わからない。

そもそもなぜ瀧と三葉が繋がりを得ることになったのかも物語でうかがい知ることも出来ずわからない。

さらに三葉が巫女を務める宮水神社に代々伝わる「口噛み酒」を
瀧が飲み干すことで3年前の三葉と会話を交わすことができるのだが、
なぜ「口噛み酒」を飲んだらまた繋がることができたのかもわからない。

すべて「こうしたらこうなった」というだけで物語はポンポンと進んでいってしまい
もういろんなところで説明は全くなされていない。ないないづくし。
理由は物語の中で語られることはなくすべて置いてけぼり。

もっと言って「流星の衝突で町が消えた」という設定。
突然心と体の入れ替わりが無くなった理由は三葉がこの世にいなかったから。
その原因が「流星の衝突」!?
一昔…いやふた昔前のギャグマンガか!?
といった具合なのである。

物語の前半と後半をわける「流星の衝突」が
映画を観る人の気持ちが冷めるか否かの境目だろう。
筆者も映画を観ている最中に「あっ、そういう展開なの?」と思ってしまい
一瞬冷静になった。

筆者は最初から割と楽しんで観ていた方なのでそんな大どんでん返しでも
最後まで見るモチベーションを保てたが、
観る人によってはもう最初から楽しめないというのはまあわかる。
前半のハートフルなラブコメ展開は多くの人に受け入れられやすいが、
一方で「こんなのありえない」「安っぽくて感情移入できない」などで毛嫌いされるものでもある。
あるいは自分のように鬱屈した学生時代を送ってきた者からすれば
あのキラキラが「眩しすぎて逆に見れない」というのもあると思う。
20代30代よりもうちょっと上のオタク第一世代や団塊ジュニア世代からすると
いまの美少女アニメ風に見えて面白くない、というのもあるだろう。

物語前半をそんな冷めた目で見てしまうと、「流星が落ちた」転換部分も「なんじゃそりゃ」となるだろうし、
先に書いたように後半の説明不足や、いわばご都合主義的な展開はもっと感情移入できないだろうことは
容易に想像できる。
『君の名は。』を「つまらない」と評する人たちがなぜそう思ったのはおそらくこんなところだろう。
逆に「一周回って面白い」という人もいるかと思う(笑)

この「感動した」「つまらない」という全く真逆のふたつの意見は実はどちらも正解である。
『君の名は。』は「思春期を越した人には見れない作品」だからだ。

またとあるインタビューで古澤佳寛氏のこんなコメントがあった。

「監督は、この作品を「思春期の人たちに投げたかった」と仰っていたんです」 [タイミングがすべてハマった。大ヒット映画『君の名は。』チームの作品づくりとは(ベストチーム・オブ・ザ・イヤー - getnews]


『君の名は。』は「思春期の10代の子たちに楽しんでもらえるように作った」作品。
これこそが新海監督やプロデューサー以下スタッフが目指したものなのだ。
映画はものの見事に10代を中心に受け入れられアッという間に人気を得た。
実際の作品づくりの手法とそれによって出来上がったものはまさにドンピシャ、
制作側からすれば大・大・大成功となった作品なのである。

別の作品を例にとってみよう。
2000年から約2年弱「ビッグコミックスピリッツ」で連載された高橋しん原作の漫画
『最終兵器彼女』だ。
北海道のある街で暮らすシュウジとちせは静かに恋をスタートさせた。
しかしある日謎の「敵」が街を空襲。
戦火のなかちせは「最終兵器」と化して「敵」と戦うことに…といったストーリー。
作者の高橋しんはこの作品を描き上げたあとのコメントでこのように述べている。

人より少しだけ不器用で。人より少しだけ恋のスタート地点が遅く。人より少しだけ、懸命に恋を駆け抜ける二人が生きる時間の記録です。ふたりの恋だけが、全てです。リアリティーなど、ただ、それのためだけにあればいい。二人の気持ちだけが、本当であれば。 [SINpre.com!]


それは、もう自分がとっくに過ぎてしまった楽しく、おばかで、恥ずかしい「あの」時代にもう一回向き合う日々であると同時に、作家として初めての感覚に捕われた日々でありました。 [SINpre.com!]


高橋しんはこの作品を描くにあたって「自分の好きなものを描きたい」というのと
「いずれ描けなくなるから」という思いで『最終兵器彼女』を描いた。
(初連載となった『いいひと。』が結構長く続いてしまったというのもある)
ふたりの恋だけが全てと言い切ってしまっている。
全てをわかった上でこの作品を作った確信犯だったのだ。
今はもう『君の名は。』に感情移入できない大人も、
思春期や20歳前後の頃にこの作品を夢中で読んだという記憶があるのではないか。

『最終兵器彼女』も賛否両輪のあった作品だった。
そしてある一定の時期を過ぎると素直に感動できなくなる、
まともに読めなくなる漫画である。
それは『君の名は。』も同じだ。
新海監督もすべてをわかった上で『君の名は。』を作った。
思春期の10代にとってのファンタジーであり素直に感動できる
「自分たちのリアル」な作品なのである。
物語の中でなされていない説明や強引とも思える辻褄合わせは問題ではない。
三葉の命が助かれば、
瀧と三葉の二人の繋がりが途切れなければそこはどうでもいいのである。

「思春期の10代の子たちに楽しんでもらえるように作った」ということは
「それ以外の思春期を越した人たち」を相手にしていないということだ。
いい年した大人がこの映画を観て軒並み「つまらない」と言うのは
まさにその評価は正解であり、なんら間違った感情ではない。
もっというと「つまらない」とは吐き捨てた人々は制作者側の思う壺にハマってしまっていたのだ。
ある意味、まんまと作品に踊らされたのである。


否定的な意見の側からも『君の名は。』を見てきたが、
あと少しだけ作品作りの気になった点を。

作品を語る上で忘れちゃいけないのが主題歌と劇伴を担当したRADWIMPSの音楽。
もともとRAD好きだったという新海監督。
出来上がった楽曲を聴いて監督はおろかスタッフも手放しで絶賛したということだが、
実際に映画を観てみると確かに曲と作品ががっちりフィットしていた。
曲そのものの善し悪しや好き嫌いは置いといて、このフィット感は目を見張るものがあった。
筆者はRADは聴かないしあまり関心も無いのだが
『君の名は。』を観て「おっ、ちょっとRAD聴いてみようかな」という気にはなった。
(実際には聴いてないけど)
前前前世くらいはきちんと聴こうと思った笑

思春期より上の世代からは「よくある今風アニメのラブコメ」と捉えられがちな物語前半だが
そう思わせない工夫も見られる。
一つはその生々しい設定だ。
三葉はとある田舎の政治家の娘であり、神通力?を持った神社の娘である。
その自然に囲まれた風景とともによくある田舎特有ののどかな感じと閉鎖感が出ていたのがなかなかリアルだった。
一方で瀧は都心に住むシティボーイ(古)。
その対比のギャップがより生々しさを浮かび上がらせる。

もう一つはその田舎のシーンを丁寧に描いていること。
生々しさが増すとともに、
きちんと描くことで物語に説得力を生み出し伏線を張ることにもなり、
ただの美少女アニメや今風のアニメとの違いを生み出している。
ともすればダレがちなシーンになりがちだが、
先述の「映像の美麗さ」「緩急」や「独特なカット」でそう思わせない。
そしてそれが作品のテンポ…特徴に、といった具合である。



いろんな意見や感情がたくさん飛び交った『君の名は。』。
予算の少なさ、動画枚数の少なさをカバーし、なおかつ新海誠という才能を前面に押し出すことに成功した
両立を見事に生んだ映画。
そしてそれは「10代を楽しませる」というコンセプトだったために賛否両輪となった、
とにもかくにも話題性のある作品だった、というところかな
まとめますと。

あと、ヒットの大きな理由のもう一つは「アニメが市民権を得たこと」だと思う。
その昔、筆者が10代だった90年代まではアニメは「モテないオタクたちの持ち物」だった。
しかし2000年代に入って『電車男』など秋葉原のフィーチャーがあると
一気にアニメが「オタクではない層」に拡散。
大の大人はもとよりオタクでもなんでもない一般層や芸能人も「アニメ好き」を隠さなくなるように。
いまや『君の名は。』の主人公である瀧と三葉の声を担当した
神木隆之介と上白石萌音という美男美女が揃って「アニメが好き」とか言っちゃったりしているのである。

だいたいにしてジブリ作品としてみんなが知るところとなった「ナウシカ」も「ラピュタ」も「トトロ」も
80年代の公開当時は赤字だった。
その状況がようやく変わったのが「魔女の宅急便」からだった。

オタクではない層にアニメ好きが広まっていき、大の大人や一般層がアニメを観ることが
なんらは恥ずかしいことではない普通になってしまった今現在の2010年代半ばこの状況に
たくさんの人の心にヒットする作品が投下された。
アニメを観る人の数が昔と比べて圧倒的に違う。
しかもジブリ作品は考えさせられる部分や謎めいた部分があるが、
『君の名は。』はいちいち難しいことを考えなくてもいい。
だから大ヒットになった。

「なんだ、ヒットの理由ってそんなことかよ」と思われそうだがたぶんそんなとこだと思います。
地味に。

今現在はジブリ作品の興行収入をすべて越えて海外の映画賞も受賞。
世界各国の映画館で上映が開始されているわけですが、
本国日本においていま自分の興味は
「映画館にすら足を運ばなかった人が『君の名は。』を観てどう反応するか」です。
地上波放送を楽しみにしています。

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