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怪作にして快作 ~映画「シン・ゴジラ」を観た~

2016.08.13.Sat.22:20
観ました。
メンズデ―の割引で。
久しぶりのゴジラの映画作品であり、庵野秀明監督作品であるということ。
そして「早くエヴァの続編をつくれ」などと言われたりなど、いろんなものが相まって
不覚にも話題になってしまった作品であった。
自分もそういった評判や周りの人気ぶりに軽率に心動かされ、劇場に足を運んだのでありました。

しかし内容は期待通りの面白さ!
観たままの興奮とその勢いそのままにPCを目の前に臨んでみた次第。
映画作品としての感想と評価と、『シン・ゴジラ』の考察の
大きく二つに分けた内容となっております。

それでは以下







IMG_9073.jpg








物語は東京湾内での一艘のボート探索から始まる。平成明朝体W9のテロップ付きで。
人気のない船内にはきちんと揃えられた靴と意味深な折り鶴がひとつ、ちょこんと置かれていた。
海上保安庁の隊員が「異常なし」とみるや、突如爆音とともに海上に波が立ち、船が揺れ動く。

アクアラインはトンネルに亀裂が入り海水が侵入したため封鎖。
首相官邸にもこの事故の一報が入る。
会議室に向かうのは内閣官房副長官・矢口(長谷川博己)と秘書官の志村(高良健吾)。
その後も続々と首相および閣僚たちが官邸に集まる。
だが会議で行われるのは"予定調和の"「災害安全対策の協議」だった…。

最初の20~30分ほどは「おじさんたちによる会議」が延々と続いていく。
会議の直前、矢口は事故の原因と思わしき「海中から伸びた巨大な触手」をとらえたネット動画を発見する。
矢口は二度、「この事故は巨大生物によるもの」と提言するが、いずれも却下。
エリート政治家の内閣総理大臣補佐官・赤坂(竹野内豊)に「会議をかき回すな」「総理レクは結論ありきの既定路線」と諭される。
そのあいだに巨大な触手とおもわれるものが海中を東京都心に向けて移動。姿は変わっているようにも見える。
恐怖が徐々に近づいていく。
事故と未確認生物発見の現場の緊迫感と、官邸での間延びしたような会議の倦怠感との対比が印象的。
災害対策会議や政府の会見…お上と現場との肌感覚のアンマッチなど、おそらくこれが現実世界で
"実際に起こっているそのもの”であると思わせるに充分足るシーンだった。

映画のパンフレットには「3.11の時の資料が膨大にあったので読み込みました」
「脚本の時系列に沿って、その省庁では何をするか、その時大臣はどこに待機するか、劇中の会議中の情報の伝達の仕方は正しいか、各大臣の所感に違和感はないか、などを確認した」とある。
庵野は徹底して「リアル」を映画に盛り込んだというのが良くわかる。
そしてそのリアルの追求はキャスティングにも現れている。

物語の主役級となる人物は先の三人のイケメンであるが、
首相や官房長官以外の閣僚、都の政治家たちは現実の誰かを思わせる風貌ばかりだ。
内閣総理大臣は大杉連、官房長官は柄本明などネームバリューがあり「見たことのある顔」の役者がそれぞれ好演している。
(柄本明の眼鏡のかけ方…!)
しかしほかの顔ぶれを見ると、内閣府特命担当大臣は甘○元大臣に似てるし、総務大臣の名前は河野。見た目も某河野さんぽい。
東京都知事は前の前に職務についていたいのせさんだし、臨時外務大臣はタモガミにもほどがあるだろうといった具合のそっくりさんぶりだ。
これは映画の中の「お笑い」の部分でもあるが、それと同時にやはり
観る人に"リアル"を与えたかったということだろう。
防衛大臣は女性(余貴美子)で、そっくりさんではないがどうしてもタイムリーなあの方の顔が思い浮かぶ。
スタッフロールにも名を連ねていたし。
強烈な目力を感じさせるくっきりと引いたアイラインが、いかにも「女性政治家」を彷彿とさせる。

学者たちは「あんな大きな生物は自重に耐えられず陸上には上がれない」と話すが、
巨大生物はあっさりと上陸。
我々の前に見せたその姿は、頭部は深海魚の「ラブカ」を思わせ、体は四足歩行の両生類のような、何とも異様な造形だった。

巨大生物は蒲田を通り品川方面へ。
ボートを車を跳ね飛ばし、マンションを薙ぎ倒し、東京の街を突き進む。
閣僚はこの危機にどう対応するか、巨大生物のせん滅か捕獲か、あるいは追い返すか。
せん滅となれば市街地での武力攻撃を認めなければならない。
周りの閣僚たちにアドバイスされながら災害対策を打った総理大臣は
ここでも周りの閣僚たちにアドバイスされ、またしても頼りなく決定を下す。
「災害緊急事態の宣言」
このシーンはいずれの閣僚にも、映画を観ている自分たちに問いかけられ、判断を要求されていうような錯覚に陥る。
まるで自分が総理大臣となり今まさに重要な決定を下さねばならなくなったかのように。

自衛隊が「ダバ作戦」と称した対ゴジラせん滅作戦を展開したシーン。
ここが第二の大きな「リアル」だ。
自衛隊保有の戦車や戦闘機を使用した軍事作戦さながらの戦闘シーンには迫力がある。
第一波、第二波と徐々に相手を叩いていくこの作戦は庵野自身が考えたものなのだが、
実際に作戦内容を確認した防衛省がその綿密さに驚いたのだとか。
兵器の使用や作戦の裏付けに防衛省が協力していたそうだが、
"本当に戦闘が起きたときはこんなふうになる"と思わせる場面であり、
リアルの追求はここでも貫かれていた。

自衛隊の勢力を集結させてもゴジラに歯が立たなかった。
多摩川を超え再び東京に上陸したゴジラは目黒までやってくる。
遂に米軍が攻撃を始める。
同時に対策本部の首都圏からの移動および閣僚以下人員の避難も開始。
爆撃機から地中貫通型爆弾が投下され、ゴジラに命中。
背中をえぐって爆発し、ダメージを与えると歓声が上がった。しかし
ゴジラの背中が赤紫に変わり、口が大きく開く。そして…

ゴジラの口から炎が放射され、東京の街並みは火の海と化した。
ビルが紫色の熱線で焼かれ切り倒され廃墟と化した都心の風景。

おそらく東京で生まれ育ったあるいは東京に何らかの思い入れがある人は
あの破壊されていく東京の街並みや逃げ惑う人々を観て何か心に来るものもあるのだろうが、
地方の田舎育ちの田舎モンの目には「あー、ぶっ壊されてんなー」と思うだけだった。
官邸前で張っていた記者が「ここでも地方は後回しなんですね」と言っていたが
それは観ている自分も別の意味でそう思っていた。

トップを失った日本は緊急に内閣を組織。
海外周遊中だった里見農水大臣(平泉成)が総理大臣に任命。
矢口は対策本部の副部長、赤坂は官房長官代理に就任。
新体制でゴジラの解明とせん滅に向けて走り出した。

そんななか米軍がゴジラ対処のために熱核攻撃の使用を検討していることを
米国特使カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)から知らされる。
ゴジラの活動開始と、熱核攻撃開始までのタイムリミットが近づく。
そしてついに血液凝固剤を投与してゴジラを倒す方法とその実行の目途が立った。
せん滅作戦名は「ヤシオリ作戦」。

隊員とともに現場へと赴く矢口。
作戦決行。
まずゴジラにミサイルで攻撃を開始、熱戦を吐くだけ吐かせる。
動きが止まったところで足を爆弾を乗せた新幹線で攻撃、体を倒す。
ポンプ車が集結し口の中から凝固剤を投与するもゴジラが目覚めて失敗に終わる。
だがすぐさま第二波の攻撃を開始。
爆弾をのせた電車がまたも足元を狙い着弾。同時に近くのビルも破壊してゴジラに浴びせる。
転倒するゴジラ。
ポンプ車出動。再び凝固剤の経口投与の開始。
全てが充填し終え、ゴジラが目覚め、立ち上がる。
万事休すか…その瞬間、ゴジラは凍り付いたように静止した。
凝固剤が効いたのだ。
これによって、ヤシオリ作戦は完了。ゴジラのせん滅に成功した。

物語の最後の最後、固まったゴジラの尻尾の先端がアップになって終わるけど、
あれはホラー映画やパニック映画によくあるラストと同じじゃないの?
「実はこれで悪夢は終わりじゃない」っていう最後のオチ。
別に「庵野、やりやがった!」ていうマンセー的なものではない気がした。

物語は大きく、完全体のゴジラが東京を火の海にしたシーンのその前後に分けられる。
閣僚各位と自衛隊がゴジラに対して対策を講じていった前半と、
都心が壊滅したそのあとに残された人々でゴジラせん滅へと動く後半である。
おっさんおばさん、あるいはおじいちゃんがいなくなって、
矢口や赤坂のような若手が目の前にある誰も直面したことのない大きな問題に立ち向かっていく姿は、
「未来は若い君たちが創っていくんだよ」と言われているかのようである。

物語"後半"。
矢口はゴジラの対策本部・「巨大不明生物災害対策本部」(巨災対)の実質的な統括を任されることとなる。

ヤシオリ作戦の陣頭指揮を取るために現地へ赴くことに決めた矢口に、
同僚である政調副会長の泉は「10年後に総理大臣になるんじゃないのか?」と訊く。
それに矢口はこう答える「10年後にこの国が残っていることが大事さ」

ゆくゆくは自分も政治家としてその高みに立ち、
閣僚として名を連ね、果ては総理としてこの国を良くしていく。
出世には興味がないという素振りは見せていたが、
それまでの矢口の頭の中にはそういった思いが何度も繰り返されていたはずだ。
しかし政治は、特に閣内は予定調和だらけであることは何遍も観てきて知っている。
そして上には、自分のすぐ近くには赤坂という男がいる。
彼が官房長官代理となったのは実は実力者であった里見元農水大臣の采配だったという。
下からの人望は厚く、上からの信頼は厚い。
赤坂は次の総選挙に立候補しその足場を築いていこうという。
その男を目の前にして矢口はいつしかこう思うようになった。
「自分は総理大臣になれないのではないか?」
そして「総理大臣になることで、果たして国を良くすることができるのか?」

巨災対は今までになく、部員ひとりひとりの結束が強くなっている。
それは全員がゴジラの解明と、それを行うことでこの国の危機を脱することができるという強い希望が見えたからだ。
みんなの思いを汲み上げ、彼らをまとめあげる存在として動き回り、目的を形にしていく。
そしてその目的達成の暁は、日本という国を危機から救うこととなる。
活動を通じて矢口はひとつの思いを抱いた。
「自分の仕事はこれかもしれない」

ゴジラが一度海に帰ったのち、破壊された街を大臣以下が現地視察したシーンがあった。
チラッと見ただけで「次は報道対応だ」とぞろぞろと引き上げる一団を尻目に、
矢口は廃墟の街並みをひとり呆然と立ち尽くし静かに手を合わせた。
これは矢口が国民と同じ目線に立っているということの表れだ。
このとき本人は気付いていなかったが、チームを率いて現場での対応に当たるというのが
実は彼の能力を一番輝かせる職務だったのだ。
対策本部を治める経験を通じて矢口は自分の才能に気付き、やるべきことを見つけた。
自分が日本のためにすべきことはなんなのかを。

立ち尽くしたゴジラを眺めながら矢口のラストの言葉「今はまだ辞めない。これで終息してないからな」には
様々な思いや感情が詰め込まれている。
「瓦礫の山々」「放射能の除去」「東京からの避難民360万人の帰還」「今後の国際社会との関わり」
「復興」…
やらなければいけないことが山積している。
まさに我々が直面して生きている"未来"ではないか。
立ち向かったゴジラは"虚構"であるが、作中で描かれていたのは紛れもない"現実"そのものだった。
最初から最後まで"リアル"は貫かれていた。
最後の言葉は矢口の静かな決意であり、
最大の危機を脱したとしてもその先の未来があるということであり、
またその未来は君たちの仕事であるという
スクリーンの外を飛び出しての我々に向けてのメッセージであった。


映画を観終えると「『シン・ゴジラ』って災害対策モノなの?」っていう意見をネットで見たのだが、
「はい!そうです!」と自身を持って言える作品だったことがわかる。
"『シン・ゴジラ』は災害対策モノです"!
単なる「怪獣映画」という枠だけではとてもじゃないがくくりきれない。
これは強く推していきたい。

そしてエヴァ同様、『シン・ゴジラ』もまた庵野の独壇場、真骨頂であったということ。
救いようのない現実と人間の裏にあるドロドロとした内面…
見たくないものを目の前に突き付ける、臓物を見せつけるという点は
『シン・ゴジラ』においても発揮されていた。
またその映画の見せ方は、ゴジラを制作した先人たちへの敬意を表したまさに初代ゴジラそのものだ。
全く新しいゴジラ作品でありながら、"ゴジラ回帰主義" "ゴジラ原理主義"を貫いた作品であることは事実であり、
それを同時に行ってしまった庵野の手腕にも脱帽しきりである。
新時代のゴジラ、『シン・ゴジラ』である。

本作品における"臓物"とは、"描かれた日本のリアル"にほかならない。
庵野が言った「ゴジラが存在する空想科学の世界は夢や願望だけなく、現実のカリカチュア、風刺や鏡像でもあります」
の言葉通り、ゴジラは"日本そのもの"を映し出していた"鏡"であった。
確かにいまの日本において、想像を絶する災難が身に降りかかったとしても、
やれ会議に次ぐ会議、お上の判断を仰ぐやら、法律上あっちを立てればこっちが立たないなど
なんとも会議、書類、クレームの配慮とそんなことを考えながら動いていくしかないのが現実だろう。
そして政府の判断や対応が、いったい誰の発案で、誰が責任者なのかという主体性の無さも特徴だ。
そりゃ志村に「こんなことやってる場合かよ」と言われるし、カヨコには「あなたの国は誰が決めるの?」と言われるわけだ。
あの前半の政府のゴジラへの対応がまさに今のニッポン。
ここは"第三のリアル"といってもいいかもしれない。

それを言うと、あの総理大臣が危機管理センターに来た時や、
都知事が都の危機管理センターに来た時の「全員起立」も
なんだか"危機のときでさえもいちいち規律を守る日本"を表したシーンのような気がする。
我々日本人にはあまり変だとは思わないシーンかもしれない。
『シン・ゴジラ』、庵野が監督したということもあり、世界100か国以上に配給されるとのことですが
"ここがヘンだよ日本人"みたいな感じで奇異の目で
なんとも日本を象徴するかのようないち場面として、海外のお客さんからは見られるのはないかと思う。

映画を観た人の意見では「早口のシーンをどうにかしてほしかった」という旨のものがあったが、
あれは早口で良かった思う。
話している内容がそもそも専門用語のオンパレードであり、あれに時間を使って丁寧に説明を加えたところで
見ている人の大半は「???」のままだと思うからだ。
それだったらあえて早回しのように送ったほうがいい、というのが庵野の考えではないか。
映画の中で重要なのはそこではないし、公開は夏休みで"怪獣映画"ということで子供も観に来る。
観る人を退屈させるのは良くないと。
エヴァの「Air」でも休憩タイムを作った庵野なので、そういう采配だったということは充分に考えられる。
これが製作費の関係で…ということではなくて"あえてそうした"ということだと思いたい(笑)

先に「未来は若い君たちが創っていくんだよ」と言ってしまっていたが、
かと言って前半のなすこと全てがいい方向に向かなかったおじさんたちが決して情けなかったというわけではない。
劇中では失敗ばかりが積み重なったが、"本気"だったはずだ。
本気でこの危機に対面し、国のトップとしてその職務を全うしていた。
総理大臣・大河内(大杉連)の顔は、みるみるうちに覚悟をきめたまさにリーダーとしての顔になっていった。
彼らとて手を抜いてゴジラの対応に当たっていたわけじゃない…とフォローをしておこう(笑)

本編において
ラブロマンスなし。
登場キャラクターの過去も振り返ることなし。
ありえないようなお涙頂戴のセリフもなし。
それが無くてもおもしろい。
「これをやればウケるんでしょ?」というヒット映画の法則をなかば無視した作り方は、
去年、2015年に話題と人気をさらった『マッドマックス ~怒りのデスロード~』と同様であるのもとても興味深い。

しかも『シン・ゴジラ』は公開前の映画業界内では評判が芳しくなかったのだそうだ。







シン・ゴジラは映画関係者から不評!?そこには邦画不振の原因が詰まっている…?

まあ今までのヒットの法則に則っていないのだから評判が良くないのも当然か(笑)
興業的には結果オーライということになりそうなわけだけど、

「ゴジラ FINAL WARS」(04)以来12年ぶりに東宝が製作した最新作「シン・ゴジラ」が、7月29日より全国441スクリーンで公開され、土日2日間で動員41万2302人、興収6億2461万0700円を記録する好スタートを切った。 -映画.com 映画ランキング


※順調なようです

『シン・ゴジラ』が公開2週目にして累計動員145万1,404人、累計興行収入21億5,063万5,500円を記録、早くも興収21億円を突破し、2週連続で1位をキープした。 -『シン・ゴジラ』がV2!快進撃止まらず興収20億円突破! /シネマトゥデイ



やりたいことやって回収するものを回収してるわけだから、
予定調和の映画よりも俄然チャレンジングな方向で攻めた『シン・ゴジラ』のほうが個人的には好きだし支持したい。

あとは『ニッポン(現実)VSゴジラ(虚構)』のキャッチコピーだ。
作品の内容を端的に表し、かつ観る人に「観に行こうかな」と思わせるのがキャッチコピーの役目。
これまでのやり方で巨大不明生物という新たに発生した問題と立ち向かい、
新しいやり方で新たに発生した問題に立ち向かう。
まさに、ニッポン対ゴジラ。
ここまで物語の内容を短く明確に表し、かつ文字通り"キャッチ―"に仕上げたキャッチコピーを久々に目にした気がした。
『シン・ゴジラ』は今年の映画界の話題をさらうだろうが、
キャッチコピーも今年の大賞(?)に確定でいいと思う。

映画業界的にははっきり言って「奇」なるものであったわけで、まさしく「怪作」だ。
しかしその前評判(映画業界の評判も世間一般の我々の評判も含め)を覆して
内容は素晴らしい、興業的にも成功を収めたとなれば、これを「快作」と言わずして何と言おうか。

怪作にして快作。
『シン・ゴジラ』はそう呼ぶにふさわしい。


ここまでが映画作品としての感想と評価。
ここからが『シン・ゴジラ』の考察。

映画の内容についてはもうさんざん言ってしまったので、
ここでは"『シン・ゴジラ』に登場するゴジラとはなんだったのか"ということを話したい。

放射能を食い物にして生きている巨大生物かと思われたが
食べているというより熱核エネルギー変換を自身の手にしてしまっている生き物だということ。
また映画の内容からするにゴジラの正体は、
実は冒頭のボートの所有者はゴジラ研究家の牧悟郎氏のもので、
その牧氏がゴジラの正体であるのが濃厚ということ。
本編ではそれ以外にゴジラの正体はほとんど明かされることなく、牧悟郎の正体もよくわからないままだった。

あと分かっていることと言えば異様な成長スピードの変態を繰り返す生き物ということか。
第一形態から第四形態まであり、触手のような尻尾のような形の形態から両生類、次いで肉食恐竜のような形をとり、
第四形態は我々が良く知る「ゴジラ」の形の形態となる。

このゴジラを見てふと気になったことがある。
今回のゴジラは全編フルCGということだ。
スタッフロールに「野村萬斎」と出ていたので、
ゴジラの歩行や行動に関してはモーションキャプチャで実際の人間の動きを取り入れたということだろう。
東京を二足歩行で進撃するときの内また気味のすり足に「能」が垣間見えたので、これには納得した。

しかし納得できなかったのが「尻尾の動き」である。
今回のゴジラはいつになく尻尾の先を上に向けて、なおかつ尻尾自体がヘビのようにウネウネと動いていたのだ。
犬や猫のような軽くふわふわとしたものならまだしも、あの固く太く、重量級の尻尾である。
「重力」と「空気抵抗」というものがあることを知らんのか!
と思わずフルCGであることをいいことにやってしまったような動きを観ていてそんなことを思ってしまった。
これまでのゴジラの尻尾の動きは、痛みや怒りの感情をあらわにした際に地面にバシバシ叩きつけたり、
攻撃する際に遠心力を使って勢いよく相手に殴りつける"武器"として使うといった、
動くことはあってもそれは直線的で、「ゴジラ本体の意識下」にあった動きだった。

だが今回の尻尾は違う。
「ゴジラ本体の意識下」ではなく、まるでゴジラ本体とは別の、「自分の意思で動いている」かのようだった。
そこで一つ思いついた。
「尻尾には、本体とは別にもう一つの"脳"が存在する…?」

この考えには裏付けがある。
93年作「ゴジラVSメカゴジラ」において、ゴジラには腰部分に「第二の脳」が存在するという設定が
東宝によって新たに付け加えられることとなったからだ。
本編でメカゴジラはゴジラの腰(第二の脳)にショックアンカーを打ち込み、電流でゴジラの歩行を停止させるという攻撃を行っている。
(そして失敗している)

ならば尻尾部分に脳があるという設定があってもおかしくないはずだ。
尻尾が本体とは別に独自に動き、先端から熱線を吐けるのも、脳がありそれが働いていたからとすれば
これは無理な話ではない。
あのラストシーン、尻尾部分の先端がズームアップされるという超意味深な終わり方をした時に
やっぱりそういうことか?と思ったりした。

が、そんなことを思っていた明けて次の日、とんでもないことに気付いてしまった。
「あの尻尾って、第一形態の触手そっくりだよなあ…」
このときふと思った。
もしかしてあの触手は「尻尾そのものだった」のではないか?と。
ゴジラ第一形態の登場は海中から触手(尻尾?)のみが顔を出してウネウネ動くというもので、
海中でどうなっているかわからなかった。
だが第二形態、第三形態と、徐々に"生物の進化の過程"を辿っているとしたら…?

この"進化を辿る"という考えはロックバンド・オワリカラのタカハシヒョウリさんのブログから拝借したものなのでそちらを参照頂きたい
これよりシン・ゴジラ超ネタバレ10000字の儀を執り行う! ※こちらも素晴らしい考察!)

この考え方に基づくと、あの第一形態の触手は"どこかから生えている"というものではなく、
イモ虫…ワームのような形の生き物ではないかと。
ワームが自分の体の一部を海上にのぞかせて動いていたと。
そしてつまりそうするとワームは触手であり、触手は尻尾であるということになる。
尻尾はその後の形態でも存在し続け、第四形態でも存在している。
重ねて言うが、第一形態のワームは第二~第四形態の尻尾そっくりだ。
つまりこれは、
ゴジラの"本体"とは"第二の脳"が存在するあの「尻尾」であるかもしれないということなのだ…!

どういうことか。
第二形態では四足歩行の水陸両用の生物となったが、
ワームの純粋な…蝶の幼虫からサナギに変わり、成虫となるような完全変態ではなく、
あれは実は第一形態のワームの片一方からニョキニョキと"生えてきた"ものということだ。
つまりは第二形態以後のゴジラの姿かたちは、あの頭も首も、体も四肢も、
すべては「本体」が海中を進み、陸上に上がり、歩行を進め、
破壊行為をうまく行うための"手段"だったのである。

常識的にはにわかに考えにくいことである。
だがそれは我々の思い込みがそれを阻害しているだけだ。
尻尾とは"本体"から"生えている"付属物だ、という認識が、だ。
しかし進化をし続けているのは誰しおうあの「ゴジラ」である。
人智を超えた"完全生物"だ。
尻尾(と思われるもの)が"本体"であれば、その逆に四肢や体が"付属物"になることは容易に想像できるはずだ。
我々の常識を超えるなどゴジラにとってはたやすいことなのだ。

パンフレットはゴジラ本体(と思われるもの)と尻尾(と思われるもの)の先端が表紙になっているが、
見ようによっては尻尾の先端には白の眼球に黒の水晶体の「目」が付いているようにも見えなくもないような…

他の方のブログ等ではあれが新たな人型生物か、ゴジラの子供か?といった考察もなされているらしい。
確かに、二回目観たら、一度ゴジラの装甲(皮膚)の一部が外れかかるシーンあるし、
ラストシーンの尻尾の先端が糸がほつれたような感じになってて、
その中からエイリアンみたいなのが出かかってたから
ゴジラ第五形態か、それとも新たなゴジラ誕生か?ってのはわかる。

もしこれが正解だとして、その何かがおそらく今から生まれるのではなく、
生まれそうになって出かかってたところをあと一歩のところで固まってしまった、というところじゃないかな
…と思いたいが…相手はゴジラ………

うおおおおおお庵野、そういうことなのか?
あのラストの尻尾のズームとは、
さっきまで「ホラー映画によくあるラスト」程度に思っていたがそうではなったのか!?
実は牧悟郎の意識がまだあの尻尾には組み込まれているということなのか!?
そしてあそこからまた何かが生まれてきてしまうのか?
それとも本体から生えた"付属物"に新たな変態がおきようというのか!?
もしかすると矢口の言った「これで終息したわけじゃない」の言葉には隠された真実があるということなのか?
「凝固剤で固めただけではゴジラを倒したことにならない」ことをすでに知っているとか、
あの巨災対が奮闘するシーンでは語られなかった裏の事実が対策本部の部員には既に共有されていたりするのか!?
ああああああああああああああああああああああ



やめよう。

あやうくまた


となってしまうところだった。

まああくまでここまで言ってきたことは自分のただの考察なので、
これが本当でもなんでもないし。

だが自分は、これがゴジラの存在であったと確信しておく。
そしてあの尻尾の先端から出てきたアレは牧悟郎本人の姿だったと。
それだけにしておこう。

その先は…
もし続編が出るとしてもエヴァのあとになるだろうから、何年先になるか分かったモンじゃない。
だからと言って続編をほかの人に任せることは庵野本人が許さないだろう。
ほかのゴジラシリーズならほかの監督でも撮れるだろうが
『シン・ゴジラ』の続編は庵野にしか撮れない。
そもそも続編が出るかどうかもわからない。

なので、このことは今は考えるのはやめにして、
とりあえずこの衝撃作のみを楽しむことに徹しましょう。
自分はまだ一回しか見ていないので、
また観に行きたい所存である。
それはあれやこれやの確認のためであり、
もしかしたらまた新たな発見がなされるのでないかと思っている。

あと、ゴジラ第二形態が川をさかのぼっていくシーンで
「ジャック&サリー動物病院」の看板が見えた。、
「ジャック&サリー」とはティム・バートン原作のディズニー映画『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』に登場する主役の二人の名前。
『ゴジラ』と『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の関連する事項というと
"昔ながらの特撮技法に最新のデジタル映像技法を取り入れ製作された"くらいしか
思い浮かばないんですが、
なにかこの二つの関連性を知っている人が居たらだれか考察してください。

そして、『シン・ゴジラ』最大の謎はゴジラの正体ではない。それは…





KREVAどこにいた?
※KREVAいた!
「全車撤退!全力走行!!」
KREVAはボスキャラじゃなかった!
本当の謎、シン・ボスキャラはスチャダラパーのANI!

Th2Le.jpg




20160730_2090734.jpg


※8/13追記
どうやら早口のシーンは、元を辿ると東宝からの要請であった模様。それはそれは。
しかし庵野も「できますよ」って言っちゃうというまあなんとやら(笑)

普通で言えば3時間分の脚本になって、いよいよ本当に監督をお願いする時に、あらためてぜひやってください、でも2時間にはおさめてくださいと言ったら、わかりました、撮れますよ、なぜなら早口で言わせるから、と答えました。たぶん、1.5倍くらいの速度でしゃべっていて、だから入ったんでしょうね。 - 東宝はなぜ『#シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか~東宝 取締役映画調整部長・市川南氏インタビュー~(境治) - Y!ニュース

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